竹宮惠子さんの「少年の名はジルベール」立ち読みしてとても面白かったのでしばらく前に買っておいたものを、ようやっと読みはじめ、やっぱり面白かったので(そしてとても読みやすかったので)いろいろそっちのけで読み終えてしまった。実話だというのに漫画のような登場人物。

あまり昔の少女漫画事情に詳しくないので大泉サロンというのもうすらぼんやりと存在を知っていただけでどういうものか知らなかったのですが、トキワ荘の少女漫画家版とな。(こんな表現はもしかしたら失礼なのかもしれない…でも本書の中でもトキワ荘みたいなのをやってみたいという動機などが綴られていたので、不正確ではない、と思う)遠慮なく漫画の話ができるっていい、という文章があって、それはとても素敵だと思った。職業として漫画を描いているということがわかっている相手と漫画の話を気兼ねなくできる、というのは、うらやましいなあ。

恥ずかしいことだな、と思うのだけど、私はどうも、もっとうまく漫画を描けるようになったら、もっと絵が上手になったら、どこか別の場所にいける、とか、もっと社交的な人間になれるに違いない、と無意識と意識のうちで思っていたようで、でもそんなことはないのだということを最近しみじみ思い返すばかりです。社交的になりたいなら絵や漫画を頑張るのではなく、社交的にならなくてはいけないのでした。当たり前だ。

竹宮惠子さんは萩尾望都さんと、お互い新人漫画家として知り合い、いっしょに大泉サロンで暮らし始めるメンバーになるのだけど、そのとき竹宮さんは萩尾さんに「好かれたい」と思った、と書いていて、それはとても正直な文章で、いいなあと思った。

好かれたいという心持ちはすごく当たり前に湧いてくるものなんだけど、あけすけにするには難しい(ひけらかすのにためらいがあるという意味)と思ってしまう。けど、好かれたいと思った、という文章を読んで、ああみんな、そういう心を抱くものなんだ、私だけじゃなかった、よかった、となぜか安心に似た心持ちになったのでした。

 

広告を非表示にする