心の使い方を考えている。

会社で異動になってすぐの頃思っていたのは、此の仕事に心はいらないのだということだった。そんなものを持ち出していたら、心は体ごと千々に乱れて、からだじゅうを巡る激情じみたものに殺されてしまうと思った。メーラーのテキストメモのエリアに、此の仕事に心は要らないと書き付けて、その文章を頭に叩き込むことでどうにか毎日をやり過ごしていた。

いつも心を逃がすために絵を描いている。ときめく気持ちだったり、好きだと云う気持ちだったり、言葉にはできないあらゆる、けれども強くて、体の中に留めておけない感情のかたまりみたいなものを、描くことでどうにかしてきた。ような気がする。

仕事で絵を描くことは、そうやって心を逃がすために描くこととは違う。もっとテクニカルなところを求められている部分が大きい。だから、仕事で描くことは、自分の心を逃がすことにはならない。

でもほんとうにそれだけなんだろうか。

心の使い方を考えている。心を使うことでしか描けないものが、できない仕事が、あるんではないかと。私は心の使い方を知らないだけで、まだ翻弄されてしまっているだけなんではないかと。

だって中学の頃、あの頃、私は合唱部にいて、歌うために自分の心を縦横無尽に使いまくったではないか。その頃のことを思い出しながら親友と話をしていたとき、あの頃のお陰で自分たちは、ああいうふうに心を使うのだと知ることができたと、語ったではないか。

あのとき知った、心の使い方を、その楽しさを、どうして今はできないと思うのだ。

自分の愛に、腹を括るのだ。

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